想いを言葉に

想いを言語化して書く力を磨いています

高校生に戻りたい!勉強の楽しさを再発見

お題「高校生に戻ったらしたいこと」

35年前の高校生に戻れたら、やりたいこと。

それは勉強だ。

 

勉強はそこそこ好きだったし、成績も中の上はキープしていた。

でも今の記憶を持ったまま戻れるなら東大、いやハーバード大に入れるくらい勉強したい。

 

学生時代の勉強は、人生の可能性を広げられる方法だからだ。

しかも手っ取り早く、簡単に。

 

学ぶというのは、知らない世界の扉を開けること。

しかも学校は、格安でたくさんの分野を学べる効率的な場所である。

記憶力が高い時期に、もっといろいろな世界の扉を開けておけば良かった。

 

勉強ができる人=優れた人とは限らない。

それでも高学歴の人はセルフコントロール力や本質を見抜く力が高い人が多い。

自分が嫌いな教科も含めて、10種類以上の教科で優秀な成績をおさめる努力は並大抵ではないからだ。

24時間という限られた時間の中で、たくさんのことをバランス良くこなすには様々な能力を使う必要がある。

 

大人になってからの勉強は時間とお金がかかる。

仕事の合間に勉強時間を作らなければならないし、学ぶにもまとまった金額が必要な場合がほとんどだ。

残念ながら記憶力は、どんどん落ちていくのを感じている。

徹夜をする体力も気力もない。

 

だから私は高校生に戻れたら、とことん勉強する。

部活も、友達との遊びも、もちろん楽しむ。

時間管理術や目標設定術を学んだ今なら、きっとどれも楽しむことができる。

 

でも、やっぱり一番は勉強!

好きな教科も嫌いな教科も、すべて自分の人生の選択肢を広げるきっかけになる。

選択肢が広がるということは、自分で選べる未来が増えるということだ。

その時、私はどんな未来を選ぶのだろう?

 

今からでも遅くはない。

高校生の時ほど選択肢が増える訳ではないが、50代でも学びは選択肢を増やすきっかけになる。

 

時間とお金、記憶力と体力の許す範囲で学んでいきたい。

間違いなく半分を過ぎたであろう人生で、選べる未来を少しでも増やしていきたい。

私がより幸せを感じられる未来を選ぶために。

失くせないもの、捨てたくないもの: もったいない病の心理と対策

お題「捨てられないもの」

もったいない病にかかっている。

 

主な症状は、捨てられないことだ。

昔かった服、本、モノなどを捨てられない人は多いだろう。

 

私の場合それだけにとどまらず、最後まで使い切りたい衝動も強い。

手作り品の材料であるリボンやきれいな紙も、1㎝あれば捨てられない。

旦那さんにもはや病気だと言われ、自分でもそう思う。

 

理由は二つある。

一つは、もう二度と会えないかもという不安。

 

書店はもちろん、古本屋や大手ネットショップを探しても見つからない本というのがある。

今は買えても、もう一度読みたくなった時に入手できない可能性を考えると、どうしても捨てられない。

 

リボンや紙などの材料は、その可能性がもっと高くなる。

そう考えると1㎝の材料たちに愛着さえ湧いてしまう。

 

二つ目の理由は思い出だ。

買った時の楽しい気持ちや、嬉しい気持ち。

一緒に出かけた人や、思い出を作った場所の記憶が詰まっている。

そんな素敵なモノ達を捨てることなんてできない。

 

 

でも現実は読み返すどころか、最後まで読まない積読タワーがいくつもある。

1㎝の小さな材料では作品は作れず、また新しい作品のイメージに合うことも少ない。

そんなこんなで部屋にはモノがあふれていく。

 

三鷹にあるジブリ美術館では撮影は禁止となっている。

思い出は心の写真として残しましょう、というコンセプトらしい。

 

全部は難しいが、私の手持ちのモノはこのコンセプトに当てはまるものも多い。

それよりも対象が多すぎて、手に取ることさえないモノがいっぱいある。

それでは意味がない。

 

今年はもったいない病を治したい。

この治療は単なる部屋の片付けではなく、人生の整理でもある。

 

自分が本当に大切にしたい思い出、ひいては価値観はなんだろう?

それが見えた時、部屋がスッキチ過ごしやすい空間になると共に、過ごす時間も自分も充実していると思う。